
2001年9月11日
4機の旅客機がハイジャックされた。
3機はターゲットに到達。
1機のみ到達せず。
監督:ポール・グリーングラス
脚本:ポール・グリーングラス
公式HP:http://www.united93.jp/top.html
鑑賞:
TOHO Cinemas Kawasaki
■感想
ホテルの一室。
彼らは、彼らの言葉で、彼らの神に祈りを捧げる。
2001年9月11日早朝のことである。
ニューアーク空港の朝はいつも通り淡々と進んでいく。
ある者は仕事で。ある者は余暇に。ある者は家路につくために空港へと足を運ぶ。
ごく普通のありふれた日常。
その日常の中に音もなく忍び込む、非日常。
離陸のラッシュにより、滑走路に待機するユナイテッド航空93便。
スクリーンを通したその翼は、まるで飛び立つことを拒んでいるように重く見えた。
ポール・グリーングラス監督による、9.11同時多発テロを扱った初めての映画は、有名俳優を使わず、犠牲者一人一人が歩いた人生に則したキャスティングを行い、撮影過程においても遺族に最大限の誠意を込めて制作されている。エンドロールで気付くのは管制官や軍関係者も当日実際に勤務していた方も多く出演していること。そんな映画の作り一つをみても、5年という歳月を経た今も超大国アメリカに深く傷を残す、映画として扱うにはとてもデリケートなものであることを知らしめてくれる。
物語は、遺族へのインタビューなどから、当日の乗員乗客の様子を再現し、ドキュメンタリー風に構成されている。派手な演出を極力控えていることも、30分という短い、しかし極限の時間でなされた機内での行動が、日常の中で起きた現実であること、スーパースターでもヒーローでもない、ごく一般の乗員乗客が経験したことであることを伝えてくれる。自分たちの機体がハイジャックされたことを知る乗客乗員。走る恐怖。死期を悟り、家族に電話を繋げる乗客達の愛の言葉は、優しく、そして切ない。最後の家族との会話の中で、他の機が次々と目標へ激突しいることを知る乗客達。この乗客達が何を実行したかは、筆舌に尽くしがたい。映画館で見て感じてもらいたい。
平穏とした日常からパニックへ。それは、機内だけではなく、全米の航空網や軍部にも波及する。混乱。焦燥。情報の錯綜。各管制局や軍部の混乱を描いたシーンでは、超大国米国をして、なす術なく4機の旅客機を次々とハイジャックされ、うち3機に目標への攻撃を許してしまった同時多発テロの実態がまざまざと描写される。4500もの機体が飛び交う航空網の中で、どの機体がハイジャックされたのかをつかむことすらままならず、誤った情報も飛び交う。エッセンスを凝縮し、まとめられた映画ですら見ている者が混乱する。これが現実の場であったなら・・・果たして日本の管制システム、防空システムはどうなのだろうか。そしてWTCの衝撃的な映像。言葉をなくす管制官達。見ている我々も同じ場に立たされる。
人間の記憶というものは、当事者でない限り。とても脆(もろ)い。
正直、たった5年の間に、あの衝撃的な事件は、私の中では風化しつつあった。1年に1度、9月11日が近づくと、報道を通じて事件を思い出す程度だった。この映画はいろいろな当時のいろいろな記憶を呼び起こしてくれるとともに、まぎれもなく民間人が犠牲になったことを思い出させ、そこに記憶されるべき、最期のドラマがあったことを教えてくれた。この事件には、いろいろな疑惑も浮上し、米国政府による自作自演説までもがとりざたされている。この映画が語る事件の背景は真実なのかもしれないし、真実ではないのかもしれない。ただ、少なくともこ乗員乗客達の勇敢な行動と、家族との最後の会話から残された事実を丁寧に紡ぎ出した制作陣の真摯な姿勢は真実なのだと思う。それを風化させず、真摯に紡ぎあげた物語を残してくれたこの映画の存在意義は大きなものだと思う。
奇しくもこの映画が日本で公開された8月12日は、21年前の1985年、御巣鷹山であの未曾有の墜落事故を起こした日航機事故が起こった日でもある。日航機事故を描いた横山秀夫さんの小説「クライマーズ・ハイ」では、事件・事故の規模の大きさと、命の大きさの問題が語られている。超大国が受けた前代未聞のテロだからということではなく、一人の人間として、その最期に何を成しているべきか、最期のに誰に何を伝えたのかということを深く考え、全ての犠牲者の方に敬意と哀悼の意を送りたい。